トランス/性同一性障害

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・  GID医療にできることと、できないこと。

性同一性障害の手術、乳房除去の女性死亡 歌舞伎町 (朝日新聞2013年2月8日)
性同一性障害の手術の医療事故に関する痛ましいニュースに関連して。

自分は、一部のGID医療は貧困ビジネスだと思っている。 @お金がなく、A周囲の理解や支援が得にくく、Bメンタルヘルスの状態が悪いほど、質の悪い医療ビジネスのターゲットとされてしまうのではないか。 そして悲しいことに、これらのビジネスの「犠牲」にならないためには、当事者が「自衛」をしなくてはいけない。

医療にまつわるリテラシーを身につけることと、 生活丸ごとからの視点で自分のQOLについて考えていくことの両面から、この問題について考えてみたい。 おそらく、これらの発想は、ビジネスで当事者からの相談を受けている人たちや医療側の人たちからは聞くことが難しいだろう。 だけど治療にかかるお金の大小などの「情報」よりも、これらの 「知恵」はよほど普遍的に役立つと思う。

自分の人生を取り戻すための3カ条
自分の専門家は、自分である
性同一性障害に「幸せのカタチ」を決めさせない
医療プロセスに対して過度に依存しない

1) 自分の専門家は、自分である
世間一般的にはGIDには「専門家」が存在することになっている。
その「専門家」とはジェンダークリニック(精神科)の医師であると思われているが、実際には、ジェンダークリニックの多くは 「相談をするところ」ではない(!)
よく、悩み始めた当事者が「自分が何者かわからない」ために「まずカウンセリングに」いくことがあり、またそれが推奨されることがあるが、 残念ながらそれだけでは危険が大きいのが現状だ。

結論からいえば、自分探しは5か所ぐらいでやったほうがいい。5か所とは、
@医療機関のほかに、A自分の生活圏Bトランスの人たちが集まるコミュニティ、C自分のことを誰も知らない人たちがいる空間、D自分のひとりになれる空間 あたりがよいのではないか。

自分も3件ほどジェンダークリニックにかかったが「GIDなんて全員鬱なんだからまず薬飲んでよ。じゃないと診られない。」 と言われたこともあれば(そこは現在はGIDを診ていない)、初診で椅子に座った瞬間に「きみはFTMだね」 (まだ一言も話してないのに・・・!!!!)とか、異性愛(FTMなら女の子好きでしょ)の強制だとか、 まぁいろいろビックリするようなことはあったわけ。
こういう話は全然珍しくないので、結論として、自分は 「ジェンダークリニックは診断をもらうための場所」だと割り切ることにして、相談は別の場所でやることに決めたし (とはいえ今の主治医とは割と相談できている)、結果として正解だったと思っている。

「自分が何者かわからない」段階での専門家は、結局のところ、自分しかいない。
一人っきりで頭を抱えていても精神衛生を悪くするので、先述したように、実際には 「好きな服で、なるべくローリスクなところに出かけていく」とか「仲間探しをしてみる」とかをしながら、自分のキモチの変化を観察するのがベターだろう。
何よりも、自分がどうすれば幸せに生きていけるのかを決めるのは、自分自身なのだ。 それは他者が決めることではない。

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2) 性同一性障害に「幸せのカタチ」を決めさせない
つい先日まで、GIDの完治とは「GIDであったことを忘れることだ」という議論があった。 幼少期の記憶を塗り替えて、「新しいジェンダーでの」偽りの自分史をもつことや、 トランスの友人と会わないことを「完治」の指標としてとらえようという医療者の試みも、歴史的には行われてきた。
GIDは「心と体が一致しないことのビョーキ」だといわれており、 そもそもの諸悪の根源は「不一致」であるからして、「一致」させればパーフェクトなのだ、 という考え方をもっている当事者や医療者も一部には存在しているが、 実際にはその考え方では行き詰るケースも多い。

自分の周りには、性別適合手術までしてから自殺に追い込まれたり (「これ以上やることがなくなった」というのも要因の一つだろう)、考えられる医療をすべて受けた後になってから 「自分の手がごっつくて、女らしく見えない」などと深刻に思い悩む人たちがいる。 問題は「QOLをあげること」「自分の人生を取り戻すこと」であり、 「女や男としての人生を取り戻すことだけ」でそれが達成するかどうか、というのは厳密に考える必要がある。 医療によって、みちがえるほどに人生が好転することは多々あるにせよ、 性別違和があるからといって、幸せのカタチや方向性は単一ではないのだ。それがわかった上で性別移行するのと、後述する 「〜さえあれば幸せなはずだ」という医療プロセスへの過度な依存をするのとでは、やはり違いがあるのではないか。
自分なんかはGIDの診断自体は持っているが、 このビョーキとしての枠組みや「不一致=障害」という考え方は好きではないので、自分では自分のことを トランスジェンダーだと名乗ることにしている。自分の病名の捉え方についても、自分自身で考えてよいことだと思う。

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3) 医療プロセスに対して過度に依存しない
20歳の頃、自分も人並みに「焦り」を抱えた若者だった。いっときも早く胸オペがしたくて、日々の生活が思い通りにいかない原因を、深く考える余裕もなかった。
その頃、性別変更したFTMのおっさんに言われたことが、このエントリーを書く背景にある。

おっさんは言った。「診断書さえあれば、胸オペさえしたら、名前さえ変えたら、内摘さえすれば、戸籍さえ変えたら… って、みんな言うけどさ。結局、終わりはないじゃん。 最後は染色体まで変えるつもり?」 どれだけ男らしかったって、男の外見があったって、それは「トランスでない大多数の人たちにとってのフツーの状態」 いわば「スタートライン」でしかない。 (その「スタートライン」がほしいと切望する心情もあるだろうが、私たちの人生はずっと前から「スタート」しているのだ。)

「いまが苦しい」人たちや厳しい環境にある人たちほど、医療や何らかのアイデンティティ、 「〜らしさ」に「すがる」傾向がある。 その選択によって叶うことと、叶わないことについてきちんと向き合えるだけの「溜め」を整備しておく必要がある。

「溜め」とは、元・派遣村村長の湯浅誠さんの表現だが、ようするに 「何かとてもショッキングな出来事(たとえば失職や病気、ここでは性別問題が思うようにいかないこと)があったときにも、 その衝撃を吸収してくれるクッションになったり、また新しくエネルギーを生み出すためのもの」であって 、頼れる他者(血縁があってもなくても)の存在や、自分には価値があると思えること、自分を大切に思えるということを指す。 「〜さえ変えたら」と突き進む中で、家族や周囲とも切り離され、趣味を楽しむ余裕もなく、 満足した仕事にもつけず(そもそも学校を中退せざるをえないケースも多い)……という環境では、やはり苦しいものがあるのではないか。
私たちが生き延びるためには、さらにトランスをとりまく医療環境を良くしていくためにも、 このような生活丸ごとからの視点は不可欠だろう。

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*GID医療とビジネス*

GID医療

昨今はGID医療に関する様々なビジネスがある。
・海外でのオペに同行するアテンド
・美容外科の病院の仲介
・ホルモン薬の個人輸入販売
・怪しいマニュアル商法 など。
当事者が善意で噛んでいることも多いが、営利である以上情報は偏る。 当事者だから安心とは限らない。
・他からの情報も集めて比較する
・ひとりぼっちで利用を決めない

など注意が必要ではないだろうか。

*トランスに関するおすすめ書籍*

ROSの『トランスがわかりません!!ゆらぎのセクシュアリティ考』 は自分の性について考える全ての人におすすめ。他の著名本は他でも紹介されているので割愛します。笑